『CROSS†CHANNEL』
このページにはこのエロゲーに関するネタバレがあります。
2004.2.4
社会からはじき出された者たちが自分の居場所を”構築”する物語。
結論に到達するのに母親からの承認を得る必要があったのは不愉快だった。
自分の居場所を構築するためには、そりゃ他者の認知がいるよ。
太一はそのためにヒロインたちとの交流を行ってきたんじゃないのか。
ちょっと違うだろう。
山田一は結局のところ、家族計画と同じことをしたにすぎない。
ちょっと洗練されてはいるけど。
結論をドラマトゥルギーで押し付ける。
物語は便利なイデオロギー装置だよ。ナチスも使ったし。宣伝の上手い奴は物語という装置を
使わずにはいられないんだよ。
なんだか感情的で悪いね。
クロス・チャンネルについてはこういう反発しかできないのよ。
2004.6.13
やっと落ち着いてきたので、少し書き加えてみる。
解釈としては、このあたりでまあ間違いないと思うわけだけどが。
http://www.mapletown.net/~akane/games/impression/cc.htm
こういうメッセージだろうと思うし。
>『人は本質的に重なり合うことはできず、孤独である。
>そのことを受け入れてもなお交差を求めて生きるのが人である。』
しかし、母親が出てきて主人公の存在を承認しちゃっては、
人間は「孤独である」という定義に至らないんじゃないのと。
母親というのは一つの世界であって、主人公が母親に望まれた
と知ったあの瞬間、主人公は孤独でなくなったと解釈すべきでは。
なかろうかと。
ただの枝葉といってしまえるシーンかもしれない。
長い物語の中でほんの1つか4つ程度の場面にすぎない。
しかし、これが、メッセージに水を指すと考える。
「家族計画」のときも思ったことだけど、田中ロミオ=山田一は、
家族という概念に無批判すぎる。家族は真理ではない。
個々の事例において、家族が個人に果たす影響は大きいものだろう。
しかし、たとえば母親に愛されたという経験は普遍だろうか?
普遍なのだと思うのなら、あなたはただ幸運なだけだ。
孤独の中のすれ違いを求めようとするとき、一人だけ孤独でない
ものがいたとすれば、彼/彼女は永遠のアウトサイダーだ。
クロスチャンネルでひとり救われないのは主人公なんじゃないのか。
私が気持ち悪いと思ってしまったのは、家族という概念への無批判
が原因だったのだ。
とはいえ、クロスチャンネルを楽しめなかったわけでもない。
プレイ中は実に楽しかった。私は主人公や美希や霧や冬子が好きだし、
コミュニケーション不全を取り上げてくれたことにも大きく感謝する。
「群青色」「適応係数」「ミキミキですっ!」といった言葉を
友人たちとの会話で散々使ったりもした。
誰かがクロスチャンネルをプレイしようといってきたら、私はその行為を
祝福しながらも、どこかで否定してほしいと思うだろう。
好きだけど認められない。
どこか歪な感じがするのだ。