北アイルランド問題の激化
北アイルランドでは、公然とカトリック市民に対する差別が行われ始めました。カトリックであるというだけで二級市民として生きることになったのです。北アイルランドでの徹底的な差別は1920年に早くも始まっています。少数者に不利な小選挙区制度、ゲリマンダー(自陣営に有利な選挙区域設定)、民間警察官による懲罰。IRAに協力させないために、数百人を虐殺し、数千人のカソリック系市民が家を焼かれ、恐怖を受け付けられました。いってみれば、カソリックであるというだけで、観鈴ちんが受けたようないじめを社会的に行われるようなものです。そして、60年代におけるアメリカ合衆国の黒人公民権運動に刺激されるまで、IRA以外からのカソリックによる運動はほとんど起こらなかったのです。
近代アイルランドにとってもっとも大きな出来事であったイースター蜂起の五〇周年にあたる1966年には、カソリック系にパブに爆弾が投げ込まれ、老婆が死亡しました。カソリック系市民を差別し、攻撃し、服従させるための組織であるアルスター義勇軍(UVF)が復活し、攻撃を開始したのです。UVFは、すぐに非合法団体とされたが、この事件でも、そしてもっと大勢の被害者を出した事件でも誰も逮捕されることはありませんでした。
1968年10月に公民権協会によるデモが計画されました。住宅割り当てに関するものです。北アイルランドでは、住宅の有無が選挙権と関連してくるので、住人たちにとって密接な関係を持っているのです。しかし、これは内相クレイグ(当時)によって禁止されてしまいます。そんなことでへこたれるようでは、そもそも政治運動などできません。法律を破るためにデモに参加するようび呼びかけがあり、2000人ほどが集まります。
そこにアルスター警察がやってきて取り締まりを始めました。88名が負傷し、37名が逮捕されました。この様子はテレビによって全世界に報道され、特にイギリス国民にショックを与えました。ついに北アイルランド問題が世界に知れ渡ったのです。
これ以後、北アイルランドでのデモには、アルスター警察やUVFを代表とするプロテスタント系テロ組織、イギリス軍などがやってきて、カソリック系市民を弾圧するのが基本になりました。それはたとえば、名雪スレへのスカトロ攻撃や、自治スレの永久煽りなどに似ています。決して終わることがなく、中断したかと思えば、いつの間にかまた攻撃が始まっているあの状況に。そして、北アイルランドのカソリック系住人たちは、その状況に80年間も放置されてきたのです。