歴史でわかるイングランドによるアイルランド抑圧政策(18世紀のジャガイモ大飢饉)
19世紀に入ってもアイルランド人の主食はジャガイモでした。
そのお陰か、ジャガイモ料理のバリエーションはすごく豊富です。
以前、アイルランドに旅行に行ったときのディナーにもジャガイモが出てきました。
まず、フライドポテト。
それから、ポテトサラダ。
さらに、茹でジャガイモ。
美味しいことには間違いないのですが、さすがに最後の茹でジャガイモが
出てきたときには、ゲップを出しそうになりました。
同じ食卓に三種類のジャガイモ料理が出てくる国は他にないでしょう。
アイルランド人たちがこのようにジャガイモについて精通しているのは、
アイルランドの土地があまりにも痩せていて、他に作物が育たないからです。
比較的丈夫であるはずの麦でもダメです。
ジャガイモしか育ちません。
19世紀の中頃のことでした。
ある日、ジャガイモ畑を見た農夫はびっくりして、ついでに絶望を味わったことでしょう。
なぜって、視界のとどく範囲内すべてのジャガイモが枯れているからです。
土を掘り返して見てみると、腐ったジャガイモがごろごろ出てきます。
というか、全部が腐ってます。
これがアイルランド全域で見られました。
ジャガイモ大飢饉のはじまりです。
大飢饉がはじまったとき、アイルランド人はイングランドの議会に向けて、
食料の輸出を止めるようにいいました。ただでさえ食料がなくなっているのに、
イングランド人でプロテスタントの地主たちは、食肉などの輸出をやめなかったのです。
議会は、地主に言いくるめられていたのか、輸出を禁止しませんでした。
大飢饉のさなか、食料がアイルランドから運び出されていきました。
たかだか150年前の話です。
この大飢饉は1845年〜1849年まで続き、100万人が餓死、100万人が海外に移住していきました。
海外への移住組にしても、ボートピープル同然の姿で、荒れた海である大西洋を渡るのです。
”浮かぶ棺桶”とも比喩された船は、衛生状態も悪く、食料もなく、嵐がくればいつでも沈む準備が出来ていたほどです。
アメリカに着くだけで幸運と言えるほどの運命がありました。
当時、850万人と言われたアイルランドの人口は、
19世紀末までの半世紀で500万人にまで減少しました。
たった50年で、アイルランドの人口は3/5になったのです。
それもイングランド議会のせいで。
20世紀後半の日本の人口は約1億2000万人でした。
アイルランドの人口減の割合をこれに当てはめてみると、50年で人口は5000万人減って7000万人になったということです。
19世紀中頃と比べて、人口がそれより少ないのはヨーロッパではアイルランドだけであり、
いかにジャガイモ大飢饉のダメージが大きかったのかがよく判ります。
それもこれも、イングランド議会のあまりの無能さが招いたことです。
(現在人口については、独立後のアイルランド政府の硬直した姿勢による部分もあり、
すべての責任をイングランドに押しつけるわけにはいきませんが)
私はジャガイモを食べるたびに、アイルランドの運命について思いを巡らしてしまいます。