『腐り姫』
このページにはこのエロゲーに関するネタバレがあります。
未プレイものは読まないようにしましょう。
2003.11.11
とりとめなく。
ツルーエンドの一週目終了して翌日。
遠い宇宙から生物に甘美な死を与える女神が地球にやってきて、
同種を見つけて安堵するお話。
細やかな配慮と悪ふざけの同居する微妙な空気はあまり好きになれそうもない。
悪ふざけというのは基本的に相対主義のたまものであり、自分の作った世界にすら
ライアーソフトの連中は没入できないことを示している。
これが彼らの限界だ。
ぶっちゃけ、私は遊演体が嫌いであり、その遊演体を母体としているらしいライアーソフトも
やっぱり嫌いだ。物事をバカにするときには批評がなければただのバカに成り下がる。
私はライアーソフトに批評を感じない。
腐り姫は伝記としてはじまり、SFとして終わる。
伝記の部分は悪くない。
徐々に明かされる記憶の秘密。
蔵女の嘲笑。
赤い雪につつまれるとうかんもり。
繰り返す夏の日。
垣間見えるヒントは謎を深めていく。
人物も魅力的だ。
潤も最初はただのムカツク奴にすぎなかったのだけれども、後半には見事なヒロインとなる。
蔵女というヒロインもすばらしい。
しかしやはりSF部分は疑問だ。
2004.5.5
腐り姫の弱点は、伝奇からSFへというジャンル間の横断が問題となっているのではない。
もっと根本的な部分。物語論理の飛躍が腐り姫の世界を壊しているのだ。
主人公の失われた記憶とは<世界>が定位されていない状況を表す。
反復される世界とは羊水であり、主人公は生まれる前にいると考えられる。
「卵の殻を壊さねば、雛は生まれずに死んでしまう」とはなんのセリフだったか。
主人公は、記憶を取り戻すことによって<世界>という卵の殻を破壊し、
また殻の破壊によって記憶を取り戻す。
そして、自分が死んでしまっている、あるいは生まれていないことに気づいてしまう。
主人公が記憶を取り戻していくのは、<世界>との和解を果たそうとする意思があるからだ。
蔵女は、<世界>を成り立たせている第一人者であり、母性の象徴であり、あるいは<世界>
の代理人といってもいいかもしれない。
しかし、物語中で述べられる<世界>とは、とうかんもりという村という空間と、
義母、義妹、恋人、幼馴染というヒロインたちとの関係性によって構築されている。
蔵女も、本妹の分身としてあり、決して外部の力を意味しない。
むしろ、内部、<世界>の意思として機能する。
この閉じた空間を壊すことがつまり殻を壊すことだ。
蔵女によって殺されていく一人一人のヒロインたちは、羊水内世界の構造物であるから、生贄となることで<世界>を自死に追い込み、主人公の覚醒を促すことができるのである。
蔵女は死ぬために生きており、主人公の世界を壊し、覚醒させることで、自死の可能性を
手に入れることができるのだ。
しかし、後半になって明かされたのは、蔵女が外宇宙の生物兵器であるということだった。
たしかに蔵目は世界の代理人のような存在であり、腐り姫世界内で超越的な力を用いる
ことができる。しかし、それはあくまで<世界>の崩壊を内部から起こすために使われ
なくてはならない。蔵女は例外的存在でありながら、内部そのものなのだ。そこで、
「外宇宙という完全な外部」という設定が表にされた瞬間に、蔵女は<世界>の敵と
ならざるを得ない。外部であるということは、<世界>の論理外にあり、どのように触れ
てこようとも<世界>を「完全な死」へ追い込む。
「繰りかえれる世界」というテーゼが意味するのは、死ぬことによって生まれるという
万物の運行の偉大さだ。主人公はそこでひとり死ぬことができず、もがき苦しんでいる。
だからこそ、腐り姫の滅びは美しくある。あれは、生命が誕生する場を逆説的に描いて
いるに他ならないからだ。そして、外部である蔵女はその美しさを踏みにじってしまうのだ。
腐り姫に、SF的設定が登場することで、その美しさは壊れてしまう。
「雰囲気だけはよかった」という感想が横行するのは、物語論理が崩壊しており、
ドラマを楽しめないからだ。好きか、嫌いか、という二者択一でしか腐り姫が評価
できないのは、本質の部分に価値がないからに他ならない。
私はやはりライアーソフトが嫌いだ。
連中は、本物の価値を手に入れようとする意思がないのだ。
最近プレイした中でもっとも嫌いなソフトのひとつ、fateにしたって私は嫌いだが、
あそこには大いなる勘違いがあるとはいえ、真実の探求という目標は崩れていないのだ。
ところで、友人がFORESTを家に置いていったので、またライアー作品をプレイすることに
なりそうなのだけれど。
うーむ。