マルチで果たして童貞を捨てることはできるか?
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マルチで果たして童貞を捨てることはできるか?
この命題を考えるには、まず童貞と非童貞の意味を探らなければならない。そして、その後にマルチを用いて、或いはマルチと合意的な性交の関係を結ぶことによって童貞を捨てることができるのかを解いていく。むろん、ここで述べるマルチは、Laef社の発行したTO HEARTに登場するキャラクター、HMX-12を意味する。もし、あなたがセリオのファンであるなら、そう読み替えてもらっても構わない。
さて、童貞の意味である。
童貞はつまり女性と性交をしていない男性に与えられる称号である。これは年齢を問わない。生まれたばかりの赤ん坊でもそう言われるし、100歳の老人でも性交を行っていなければ童貞である。
では、非童貞になるにはどうすればよいか。具体的には、男性の性器を女性の膣に挿入して、男性が射精を行えば、童貞でなくなってしまう。いわゆる、童貞を捨てた状態になる。女を知る、と修辞的に表現してもよい。これはすぐ重要になる。
男性同士の性交によっては童貞は奪われない。あくまで、女性と行うことが必要なのである。それに肛門は本来性器ではない。ここで述べる性器とはあくまで子供を作るという行為に関連した器官である。しかし、ある意味で、童貞を捨てたとは言える。それについては後述する。
男性は童貞を捨てることによって、純潔を捨てたことになる。男性に純潔があるとはおかしいと思われるかもしれないが、そんなことはない。女性だと、たとえば処女膜が破れたという物理的な証もあって、判りやすい。英語では、童貞も処女もvirginであって、区別されてはいない。もっとも、女性に使うことが多いようだが。このvirginなる単語には純潔、無垢と逝ったイメージがある。日本語の処女なる単語にもそんなイメージがある。処女の派生語である童貞にも純潔というものは含まれているのだ。
純潔を捨てることを日本的に言い換えると、穢れることを意味する。聖と俗という対立概念において、俗、つまり世間に出ていくこと、就職し、社会的な人間関係を作っていくことである。そこでは霊的なものが排除され、物質のみの世界に入り込む。俗にまみれるというのは、生活に必要なことである。人間は霊だけでは生きていけないが、肉体は霊的なものが少なくても生きていける。
なぜ性交によって穢れるのか? それは古来より女性が不浄であり、穢れた存在とされてきていることに意味がある。男は、穢れた存在=女性に触れることでそれを移してもらうのだ。
先に、男同士の性交の話があったが、穢れるという意味では、まさしく童貞を捨てたことになる。なるほど、彼の「純潔」は失われてしまっている。
また、童貞を捨てるということは子供が大人へと変化するためのイニシエーション(通過儀礼)の一種である。また、イニシエーションというからには、社会的な認証も必要である。少なくともそれが公にされて、役所で証明書が貰えるわけではない。しかしながら、童貞を失った者が自分でそれをそうと認識できないのであれば、童貞を失ったことの意味は失われる。なぜなら、彼はイニシエーションを通過してことが理解できていないからだ。特定の何かに認証されるイニシエーションでないならば、個人の内において解決されるしかないのだ。
では、最初の命題に戻ろう。
果たしてマルチで童貞を失うことはできるのか?
結論から言ってしまうと、ノーである。理由はこれまでの推察を思い起こして頂ければすくに判るかと思う。まず、マルチは女性ではない。あくまで女性型アンドロイドであって、形容詞で示されるような要因によっては童貞は失われ得ない。女性という穢れた存在に触れ、自らも穢れることで童貞でなくなってしまう。穢れは精神的要因、霊的要因が強い。マルチは精神的には物質であり、霊的には生物でない何かとされるであろう。マルチは純粋すぎるという特徴によって、童貞を失わせるに至れない。
社会的認証という壁もまた大きい。日本において、性交しただけでは童貞は失われない。それはイニシエーションの一種であって、童貞を失おうとするものが、その行為によって社会的認証を得たと確信しなければならない。これは本物の女性を対象にしていれば問題にならないのであるが、果たしてマルチとの性交を性交として確信できるのか。これは難解であるとしか言えない。人間は社会的生物であり、他人との接触がなければ自分を認識できない。他人はまさしく自分の鏡なのである。つまり、周囲の大多数の考えていることには強い影響を受ける。ある程度の大きさの社会の大部分が、マルチは穢れており、それによってイニシエーションを果たすことができるという認識を持たなければならない。現状では不可能である。
誰もが浩之になれるわけではないのだ。
将来における、マルチで童貞を捨てることの可能性を問われたなら、それはあると答えることができる。それにはまず社会的情勢が変化しなければならない。
思うに、マルチが自意識を持った存在として定着すれば、彼女はまさに霊的にも生物であり、ひいては女性であると言えるようになるであろう。単純な人工知能(A.I.)は、冷たい鉄のような無骨な機械のイメージがある。ところが、マルチレベルのA.I.が造り上げられ、普及するようなことがあれば、そのような誤解はやがてなくなっていくであろう。人間はマルチの中に自分を見いだすことができるはずである。そのとき、マルチはアンドロイドとして認識されるのではなく、一人の人格を持ったかわいい女の子として生活していくことができる。その時こそ、穢れの問題も、イニシエーションの問題も解決し、マルチとの性交によって童貞を捨てることが可能になるだろう。
私は一人のエロゲヲタとしてそれが実現されるのを心待ちにしている。
最後に、葉鍵板@2chの「マルチに童貞を捧げた人共通スレ」(http://cheese.2ch.net/leaf/kako/995/995902778.html)でレスをくれた皆さんに感謝したい。私の発言にレスが付かなければ、このエッセイは生まれなかっただろう。