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天使のいない12月』

このページにはこのエロゲーに関するネタバレがあります。
未プレイものは読まないようにしましょう。

 




2004.5.10
真帆ルートのエンド拝見。

主人公は、友人の彼女真帆を寝とってしまう。
しかしそれは心が繋がらない世界での慰みにすぎない。
主人公も、真帆も、孤独という論理を知る。
そうしてオトナへの第一歩を踏み出す。
いまはただ、雪の中で二人の孤独という距離感の中で。

これは「物語」ではなく、「メロドラマ」だ。
なぜなら、彼/彼女は世界の深層に踏み込む勇気をもたず、
関係性のなかで揺れ動いているにすぎないからだ。
メロドラマであることは、それが永遠の価値を持たないという以外に
批判されるべき要素はそんなにない。
出来が悪ければ無視され、話題に上らなくなるだけだ。

「腐り姫」について、あれだけ物語性について批判したのに、
どうして「天いな」については中立的な立場を取ろうとしているのか、
このサイトの熱心な読者がもしもいたとすれば、こういう思いを
抱かれるかもしれない。
それは、「腐り姫」が出来そこないの物語であり、物語として批判
されるべき主題を取り扱っているということ、対して「天使のいない12月」は
完全にメロドラマであり、「物語」として批判するべき要素がまったくない
ということに尽きる。

さて、私は真帆シナリオが気に入った。
というか、このゲーム全体が非常に楽しい。
まあ、青春の虚無感、絶望感がよく描けているとはいえない。
主人公はアウトサイダーであるにしても、本人の語る通り凡俗だ。
そして、アウトサイダーの凡俗である自覚という絶望がそこにはない。
天いなはテーマにせよ、テキストにせよ、キャラクターにせよ、
どれもこれも徹底的に偽物であり、それが偽物として機能している限り、
ただ楽しむしかないのだ。そして、私は楽しんだ。
これ以上何か言うべきことがあるだろうか?

このゲームは20代向けに、苦い青春時代の絶望感を淡いタッチで薄めて、
エンターテイメントとして機能するように描かれている。
主人公は本気では決して苦悩しない。
絶望の深淵に足を取られれば、物語という魔法が作品に降りかかり、
シナリオライターはドストエフスキーやサルトルと対決しなければならなくなる。
いい逃げ方だと思う。

真帆ルートが取り扱っているのは、”純粋さへの憧れ”という勘違いだ。
純粋さは相互性の中では発生し得ない。恋人同士というお互いを意識した関係は
すでにそこで何かが混じって濁っているのだ。純粋さを誤信した真帆が
彼氏に間違った要求をしてしまい、こじれて複雑になった問題から目を
背けたときに、純粋っぽく見える主人公に慰めを抱いたのは仕方ない。
人間関係に混じらない損得勘定はない。得か損か、そんな二者択一ではないが、
やはり一方的な要求を行った真帆はただ愚かであり、どうしようもないが、
これが若さなのだと諦められるぐらいにはこの「天いな」のテーマ性は高くないのだ。

2004.5.19

エンディング、CG共にコンプ。
各キャラごとに感想をだらだらつづってみる。

明日菜ルート。
バイト先の同僚であるかわいい女子大生と恋仲になってみれば、実は彼女は元援交生で、
家族的な愛情の不足を自分で作り上げようと偽物っぽい愛を主人公に捧ぐ。
彼女が元援交生だったことと、自分への愛がただの代償にすぎない
ことに主人公は悩むが、彼女から与えられた愛への自分の反応を
信じることにして、仲直りする。
ハッピーエンド。

主人公のダメさ加減全開で突き進むプチジェットコースタードラマ。
そして、自らの行為のダメさ加減を知りつつも、主人公への代償的な愛を
振りまくことを止められない明日菜のプチ絶望っぷりが光る。

家族の不仲が原因の援交なんてありきたりすぎる設定をそのまんまやって
しまうあたりが楽しみどころなので、ケチをつけたりせず、喜劇として
生暖かく見守りましょう。

須磨寺ルート。
主人公は逃避先の屋上で、自殺願望のある同級生須磨寺雪雄と出会い、その死の臭いに
激しく反発するも、彼女の誘いに乗ってセックスしてしまい、腐り縁を続けてしまう。
ふとしたきっかけで、彼女の自殺願望が、昔飼っていた犬が死んだことによる悲しみで、
失うことへの恐怖に飲み込まれた結果であると知り、なんとなく絆っぽいものを須磨寺に
感じていた主人公は一緒に自殺しようと誘い、彼女はそれを受諾、クリスマスイブに
出会いの場所でもある屋上から飛び降りるも、生き残り、死ぬという選択肢を埋めて
しまった二人はとりあえず生き続けることにする。
たぶん天いなで一番のハッピーエンド。

当初、須磨寺の死への渇望っぷりに萌えたのだが、原因を知ってあまりに彼女が俗に
まみれたところに引いた。愛を失うことへの恐怖などなんてありきたりな。もったいない。
飼い犬が死んだことがきっかけなら、失うことへの恐怖ではなく、純粋な死への憧れ
を扱えばものすごく面白くなったはずなんだけど、そんなことをすれば、
ただのエンターテイメントの域を越えてしまうのでダメダメなのだろう。
323絵の美しいツインテールで儚げなヒロインが自殺ごっこするのをただ楽しもう。

また、主人公の健全さにも要注目。須磨寺の自殺願望に吐き気を催したあたり、死への
共感すら保てない中途半端な絶望は、主人公がただの俗人であって、彼の独白なぞに
多少なりともの価値すらないことを意味する。そして、「天いな」がまさに、
価値とか意味のないところをコンセプトとしているのではないかと思わせてくれる。
このある種の不毛さこそが「天いな」の価値なのだろう。

そして、須磨寺こそ「天いな」の中でもっとも健全なヒロインなのも指摘しておくべきか。
後述するだろうがしのぶの聖女たりたいという逆説のパラノイア、明日菜の社会性を
見失った愛への渇望、真帆の純粋さへの誤信、透子の切実すぎる権力への欲望に比べれば、
須磨寺の逆説的に愛を求める行動は根底にまだ共感の余地がある。彼女は社会性を失う
まいとして社会性を希薄にしていく。自分と社会の距離を取る余裕すらあるのだ。
このルートが一番のハッピーエンド、ギャルゲー的ハッピーエンドなのも、
こうした健全さに裏打ちされているのではないだろうか。

透子ルート。
メインヒロインのはずなのに書きたいことがほとんどない。
バッドエンドルートでは、透子の身体に溺れる主人公を逆支配するというかわいげも
見せてくれて、支配と被支配の逆転構造を軽く指摘したりもするが、そのあたりは次の
しのぶルートで見せられるし、たいしたこともない。
むしろ、透子は他のキャラクターのルートで光っているような気がする。

2004.6.3
しのぶルート。
自分の庇護下にあった透子が主人公とセックスしているのを見てしのぶは
その場で自慰してしまい、なおかつ主人公にそのことが露見し、
自らの醜悪さを自罰意識で覆い尽くそうとして主人公に関係を持ちかける。
自罰のあまりの愚かさにしのぶから目を離せなくなった主人公は透子への興味を失い、
やがてしのぶとの関係が発覚して二人は分かれ、そして新しいカップルが誕生する。

透子という中心があって結ばれた二人の間にはもう何もない。
しかし、そのためにこそしのぶと主人公は心を通わすことができない。
逆説のカップルという点も興味深いが、やはりこのシナリオの白眉は、自らの
聖性を保つために罰を求めるという逆説的存在となったしのぶのパラノイア的な
性向ではないだろうか。その歪みは、永遠に触れ合わない透子と主人公という
不毛の関係性や、真帆の純粋さへの誤信、須磨寺の愛への逆説的執着に比べると
明らかに病的で楽しい。

しのぶをはじめとして、ヒロインたちのこうした愚かさ、主人公のただ流されるだけの
愚痴に等しい厭世感は青さの表現だ。

2004.6.12

まとめを書かないと締まらないのでテキトーに。

グラフィックだけが印象派によるビアズリー的展開を見せてやたら気持ちいい。
「オレって323絵が好きだったんだなあ」と再確認したような。
これで、塗りにひらめきのようなものがあれば、323絵は印刷されたルノアールに匹敵
すると愚考する次第なのだがな。

厭世感は消費ターゲットの嗜好への考察が生んだものだろう。
「こみっくパーティ」で見せたような楽天的コメディ的オタク的イメージからの脱却
という企業戦略も感じられる。他者の話になるが、たとえば「デモンベイン」への批判は
自分たちの望んだシリアスでないという自己愛的なニトロ像からの転換を指摘するものが
あったらしい。自社イメージの固定は企業戦略の幅を想像以上に狭めてしまう。
リーフがこの大きさのまま生き残っていこうとするなら、多様性は必然として求められる。
だからこその、いわゆる鬱ゲーと呼ばれる分野に参入したのであろう。

天いなは人間を語るための深みに欠けている。
それは批判されるべきものではなくて、この作品がメロドラマを基調としたものである
ことで、むしろ特徴として記憶されることになるだろう。




 

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